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業務連絡その1
大阪○警さんへ
ちと質問の意味がわかりません。
高知空港の胴体着陸に関して、何か不審なことでもあったのでしょうか?

業務連絡その2
昨日から5連休を取ってます。
で、明日はまた「同行二人」の続きに行ってきます。
今回は日帰りのつもりですが、状況次第・気分次第で宿泊してきます。
ま、行くのは確かだが、その後の予定は未定、ということですな。
帰ってきたら、当然のごとく「同行二人シリーズ」にかかりますので、しばらくは朝鮮ネタから遠ざかります。


二分法的歴史解釈を排した韓国近現代史の素描 2007/3/25 朝鮮日報
【新刊】金源一(キム・ウォンイル)著『サソリ』(実践文学社)
 満洲の原野で抗日独立運動をした祖父に始まり、ヤクザに落ちぶれ社会の底辺を転々とする孫まで、3代にわたる傷だらけの家族史を描いたこの小説は、韓半島(朝鮮半島)と満洲で繰り広げられた韓国近現代史100年を振り返るスケールの大きな作品だ。
 韓国近現代史の重いテーマを取り上げ、作品を書いてきた作家・金源一氏は「最近、韓国社会を二分する進歩と保守の対立、過去史清算などのイシューについて、二分法的思考から脱皮しようと提案したかった」と創作の背景を説明した。

~中略~
 この小説で3人の男は、植民地時代と産業化時代、後期資本主義時代を生きてきたわれわれの影の部分をそれぞれ象徴している。著者は、彼らを傷だらけの被害者であると同時に加害者として描くことにより、人生がたった1つの断面だけで定義されるものではないことを示そうとした。困難の多い人生に耐え、生き抜いた彼ら3代の人生は、称賛も非難もできない韓国現代史の証人であるだけだ

どういう意図があろうと、どういう意味があろうと、この話は小説であり、フィクションです。
なのに「称賛も非難もできない韓国現代史の証人であるだけだ」ってのは何なんですかね。
小説の主人公が生きてるんですか?
そのうちこの話も、歴史物語として出てきそうですなぁ。


高句麗は古朝鮮を継承した国家だった!?(上) 2007/3/25 朝鮮日報
 紀元前2333年を「建国年代」とする記述方式のため、最近「国史(韓国史)」の国定教科書が修正され、ある放送局は100部作ドラマ『檀君』の制作を進めている。このように韓国史上最初の国家である「古朝鮮」に対する関心が急激に高まる中、現在まで一般的に知られている古朝鮮の滅亡年代に誤りがあるとの指摘が出された。
 現行の高校用国史教科書には、「古朝鮮は…(中略)…長期間の戦争で支配層の内紛が起き、王倹城が陥落し滅亡した(紀元前108年)」と記述されている。しかし、韓国古代史を専攻する又石大の趙法種(チョ・ボプチョン)教授(写真)は、最近出版した研究書『古朝鮮高句麗史研究』(新書院)で、「1次史料を綿密に分析した結果、古朝鮮の滅亡年代は紀元前108年ではなく107年であることが明らかになった」と主張した。この1年の時差には非常に重要な意味が隠されている。なぜならば、この1年の時差により、古朝鮮の首都の位置を通説とは異なる場所に比定し得る解釈上の余地が生じるからだ。
 では、漢の武帝が衛氏朝鮮に侵攻した紀元前108年には一体何が起きたのだろうか。
 紀元前108年、衛氏朝鮮の尼谿相(地方行政の長官職)の参(チャム)が右渠王(ウゴワン)を殺害し、漢に投降した。しかし、その際に首都王倹城も陥落した訳ではない。代わりに成己(ソンイ)が王倹城に籠り、抗戦を継続した。だが成己は右渠王の息子・長降(チャンハン)らに殺され、最終的に王倹城が陥落したのは、『史記』功臣諸侯表によると紀元前107年のことだという。
 こうした古朝鮮の滅亡年について、趙法種教授は「通説では紀元前108年滅亡とされているが、これは司馬遷が『史記』朝鮮列伝の紀元前108年条に、漢の衛氏朝鮮侵攻から滅亡までの内容をまとめて記録したために生じた誤解」と主張している。


高句麗は古朝鮮を継承した国家だった!?(下) 2007/3/25 朝鮮日報
 問題はここからだ。衛氏朝鮮の滅亡が紀元前108年ではなく紀元前107年となると、王倹城の位置に楽浪郡が設置されたという通説が変更される可能性が生じてくる。
 古朝鮮の旧領土に設置された漢四郡は同時に置かれたわけではない。『漢書』五行志と地理志には、紀元前108年に楽浪郡など3郡を置き、紀元前107年に玄菟郡を設置したと記されている。つまり、王倹城が陥落していない段階で楽浪郡が設置され、玄菟郡が陥落後に設置されたことになるのだ。従って王倹城は、楽浪郡ではなく、むしろ玄菟郡に位置していた可能性が高くなる。
 それならば、古朝鮮の遺民らが粘り強く抵抗した結果、漢がその位置を内陸に移した郡がほかでもない玄菟郡だったという事実も容易に理解できる。王倹城の位置に置かれたのが玄菟郡だったならば、玄菟郡が撤退した後に建てられた政治勢力とは一体何だったのだろうか。趙法種教授によれば、それがまさに高句麗だったという。
 高句麗5部族連盟の1つだった消奴部の首長は、沸流国の松讓王(ソンヤンワン)と思われるが、王は自らを「仙人の末裔(まつえい)」と認識していた。13世紀に李承休(イ・スンヒュ)が記した『帝王韻紀』では、この点について「仙人」とは「檀君」のことであると認識している。高句麗を建国した朱蒙(チュモン)が沸流国を服属させた後、その領土を「かつての領土を取り戻した」という意味の多勿都と呼んだという記録も多くのことを示唆している。
 こうした一連の分析の結果、趙法種教授は「檀君神話を始祖神話として保有する松讓王集団は、古朝鮮の崩壊当時、王倹城付近に存在した政治勢力だった可能性があり、この集団が高句麗建国の主役の1つになったという点で、古朝鮮と高句麗の間の継承性が明らかになるのではないか。今後のより綿密な考古学的考証を待ちたい」と結論づけた。
 一方、趙法種教授のこうした主張に対し、古朝鮮史専門のソン・ホジョン韓国教員大教授は「『史記』の功臣諸侯表よりも朝鮮列伝を基本史料としなければならない」と述べ、慎重にアプローチすべきとの立場を示している。


古代朝鮮についてはあまり知識がないので、突っ込みはしませんが…
けどね、「檀君」は13世紀に初めて名前が出たんだから。
それ以前の歴史書なんて、朝鮮半島には残ってないんだから。
何度でも言うが、フィクションを信じるな!歴史にするな!
まったくもう。

それと司馬遷の「史記」は、司馬遷の思想が入ってるとか、勘違い・間違いがあるとか、年代に矛盾があるとか言われてます。
だからすべてを鵜呑みにするのは危険ですが、貴重な資料であることは間違いありません。


「韓国で戦争が起きたら誰が銃を手にするのか」(上) 2007/3/25朝鮮日報
 国軍捕虜の遺族であるイ・ヨンスンさん、ペク・ヨンスクさん、パク・ヒョンジュさん、ホ・グムジャさん、イ・オクチュンさん。彼女たちは故郷を思いながら北朝鮮で死亡した父や夫の遺骨を持って北朝鮮を脱出した。「死んでも故郷に帰りたい」という故人の遺言を果たすためだ。彼女たちは月刊朝鮮の記者にそれぞれの心境を語った。(一部抜粋)

「韓国で戦争が起きたら誰が銃を手にするのか」(中) 2007/3/25朝鮮日報
 1931年生まれの韓国軍捕虜、イ・マンドンさんは96年に死亡した。5人の娘たちは韓国に来るまで中国で放浪し、多くの苦労を味わった。そんな娘たちは皆、韓国軍捕虜の父親を恨んでいたという。このように差別されて生きていかなければならないのに、なぜ自分たちを生んだのか。生まなければよかったのに、なぜこんなに苦労させるのかと問い詰めた。するとイ・マンドンさんは「お前たちは何も知らない。北ではこうでも南に行けば父さんは英雄だ」と話していたという。(一部抜粋)

「韓国で戦争が起きたら誰が銃を手にするのか」(下) 2007/3/25朝鮮日報
 パク・ヒョンジュ(仮名)さんは韓国軍捕虜キム・スイル(仮名)さんの妻だ。キムさんは1931年生まれで72年に死亡した。パクさんはキムさんと咸鏡北道の炭鉱で知り合った。キムさんは72年4月26日、腹に水が溜まって死亡したという。党の所見書には「こいつは韓国軍捕虜なので国の恵沢は受けられない」と書かれてあった。キムさんは治療が受けられなかったのだ。死後もパクさんの家族はひどい差別にあったという。パクさんは2005年、夫の遺骨を持ち韓国に逃れた。
 ホ・グムジャさんは韓国軍捕虜ホ・ヨンチャンさんの娘だ。ホ・ヨンチャンさんは1930年生まれで95年に死亡した。ホ・ヨンチャンさんは49年に特務隊に入隊。第6師団に移って韓国戦争(朝鮮戦争)に参戦し捕虜となった。娘の記憶では父は左腕が不自由だった。正月になると「故郷の慶尚南道金海に帰りたい」と言って泣いていたという。ホ・ヨンチャンさんは95年7月18日に肝臓ガンで死亡した。生きて帰れないのなら死んでからでも帰りたいというのが遺言だったという。
 その後北朝鮮を脱出したホ・グムジャさんは、ついに父の遺骨を韓国に持ち帰ることに成功した。しかし、ホ・グムジャさんは韓国政府を恨んでいる。「父の遺骨を持ち帰り、夫の友人が国防部に電話をすると、“頭が痛いからこの話を持ち出さないでほしい”と言われたそうだ。こんな国で戦争が起きたら何人の若者が銃を持って戦うだろうか
※詳しい内容は『月刊朝鮮』4月号に掲載されています。


韓国政府は拉致被害者だけでなく、朝鮮戦争時の捕虜ですら、冷遇しているようです。
ひでぇ話だ(-_-メ)

しかし………月刊誌の記事をつまんで作ったような気がするんだがな、この記事w


【記者手帳】韓国は子供を産むのが怖い国 2007/3/25 朝鮮日報
 「赤ちゃんはもっと後で産むほうがいいと思います。妊娠中の私が言うのもおかしいですが、早く妊娠したことに後悔しています」
 これは「40歳を過ぎて初産をする女性が増えている」という15日付の本紙記事を読み、「とても共感したので、電子メールを送りたくなった」というある女性読者(30)の言葉だ。ホテルのカジノや外食産業を経営する韓国でも有数の企業の企画チームに勤める彼女は、最近妊娠したということから退職勧告を受けたという。「産休はダメ」というのがその理由だった。「“妊娠したら退職するのが慣例。自分で考えて辞めなさい”と言われました。“辞職しなければ整理解雇の対象になる”と脅かされ、“勤務時間内に別の会社の面接に行ってもいい”とまで言うのだから呆れます。結婚した女性が子供を産むのは罪でしょうか」。
(一部抜粋)

これまたひどい話。
少子高齢化が進むはずですわ。
日本国内でもかつてはこういう風潮があったようですが、今はだいぶ改善されてるようです。
けど、さすがに産休が取れないという話は聞いたことなかったんだが…



甥っ子が小学校卒業して、中学校に入学するので、今日お祝いをあげました。
本人曰く、MDラジカセが欲しいって言うので、買いに言ったんですが、結構なもの買わされました。痛い(∋_∈)
で、ふと思ったんだが、カセットデッキが付いてなくても、ラジカセって言うんですよね。他の名前ないのかな?
ラジカセもいいが、わたしゃDVDコンポが欲しい。
しばらくは到底買えんけど(´ヘ`;)ハァ





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